世界津波の日

稲むらの火の館 津波防災教育センター3階「世界津波の日」コーナー

「世界津波の日」の制定 ~はじまりは「稲むらの火」~
2015年12月22日の第70回国連総会本会議にて、世界中で津波に関する意識を向上させるために11月5日が「世界津波の日」として制定されました。
11月5日は、1854年(安政元年)に和歌山県広川町で起きた大津波の際に、濱口梧陵が稲むらに火をつけることで早期に警報を発し、避難させたことにより村民の命を救い、被災地のよりよい復興に尽力した「稲むらの火」の逸話に由来しています。
また、日本国内においても、11月5日は「津波防災の日」と定められています。
「先人の警鐘」を伝え続ける
世界で津波によって引き起こされる津波の被害は太古の昔より後を絶ちません。
近年においても、1755年のポルトガル、1960年のチリ、1976年のフィリピン、1998年のパプアニューギニア、1999年のトルコ、2001年のペルー、2004年のインド洋の沿岸諸国、2009年のサモア及びトンガ沖、2007年と2013年のソロモン諸島沖、そして2011年の東日本大震災など、多くの人々が犠牲になり、甚大な被害が発生しました。津波災害は世界の多くの国々で共有されている脅威です。
津波による被害を減らすためには、国際社会が津波への理解を深め、津波対策の重要性について意識を高める必要があります。
しかし、津波は人生の中で経験するかしないかの災害です。そのたびに発せられてきたであろう警鐘が忘れられてしまうのは、津波災害の特性とも言えます。津波から命を守り、減災し、強い町にしていくためには、「先人の警鐘」を皆で、生活に密着した中で、伝え続けていくことが何よりも重要なのです。

「安政聞録」広村を襲う安政南海地震津波之図
この図は1854年(安政元年)12月24日(旧暦11月5日)広村をおそった安政の大津波のようすを、被災者の一人である古田庄右衛門が描いたものです。
夕やみがせまる混乱の中を、濱口梧陵が危険をおかしてたくさんの稲むらに火を放ちました。それを目印に、村人たちが迫りくる津波から高台に逃げているようすがうかがえます。
『安政聞録』(和本51枚綴)養源寺蔵
世界で初めて奇跡の復興を遂げた広川町
安政元年(1854年)11月5日の安政南海地震津波の際、ここ広川町で濱口梧陵の功績により、「稲むらの火」の逸話が生まれました。
「稲むらの火」には、津波防災の基本となる (1)早期警報、(2)伝統的知識の活用、(3)より良い復興(ビルド・バック・ベター)の3つの要素が含まれています。
「世界津波の日」の3つの要素は、「稲むらの火」をはじめ広川町の復興を成し遂げた、濱口梧陵の精神「Goryo’s Spirit」に通じます。

広村堤防(国指定史跡)
広村堤防は、1854年(安政元年)に発生した安政南海地震の後に、濱口梧陵の指揮のもと築造されました。
のちにこの堤防は昭和南海地震の津波の際などにおいて効果を発揮しました。
広村堤防建設費、銀94貫のほとんどを梧陵は私財で賄ったのです。
3年10ヶ月の歳月を費やし、延べ56,736人の人員をかけて見事に広村堤防は完成しました。
この堤防のおかげで1946年(昭和21年)に発生した昭和南海地震津波で、見事にその役割を果たし、多くの広川町の住民を守りぬきました。
濱口梧陵より受け継ぐ精神 Goryo’s Spirit
「稲むらの火」の物語は、津波に立ち向かう防災のお手本として日本中に、そしてラフカディオ・ハーンの功績により海外にも伝えられ、世界中に知られるところとなりました。
広川町の伝統のように「語り継がれる物語」や「生活に密着する伝統的知識」つまり歌や祭りなどは、「先人の警鐘」を伝え続けることに大きな力を発揮します。
広川町では、100年以上も前から「津浪祭」を行い、濱口梧陵より受け継ぐ精神「Goryo’s Spirit」を伝え続けています。「Goryo’s Spirit」を一言で言い表すならば「津波に対する警戒感」であり、「世界津波の日」のコンセプトである3つの重要な要素が含まれています。

先人の警鐘を伝える「稲むらの火まつり」
広川町より世界へ!
世界の人々が、この「Goryo’s Spirit」に賛同し参加していくことで、自分と大切な人々の暮らしを現在に導き広め、世界中から津波被害を減らすことができると考えます。
「世界津波の日」由来の広川町は、津波防災のリーダーとして、濱口梧陵の精神「Goryo’s Spirit」を次世代へと継承し、世界中へと広め発信する使命を果たしていきます。
「世界津波の日」については、稲むらの火の館 津波防災教育センター3階「世界津波の日」コーナーでご覧ください。
