ご挨拶
1820年(文政3年)、時は幕末。鎖国から開国へと向かう激動の時代に、ここ紀州有田郡広村(現在の広川町)に「稲むらの火」で知られる「濱口(はまぐち)梧陵(ごりょう)」は生まれました。
元禄時代より醤油醸造業を営む大店の分家に生まれ、「七太(しちた)」と名付けられました。
その後「儀太(ぎた)」「儀太郎(ぎたろう)」と改名し、1853年(嘉永7年)、34歳にして家督を継いで、第七代「濱口儀兵衛(ぎへえ)」となったのです。
この翌年、安政の南海地震による大津波が広村を襲いました。梧陵は「稲むらの火」を灯し村人を救い、大堤防築堤で広村の防災百年の計を成し遂げました。
その歴史的な偉業に尊敬と親しみを込め、私たちは「梧陵さん」とその名を呼んでいます。
しかし、「梧陵」という名前は、儀兵衛が51歳になり、八代目儀兵衛に家督を譲った後、自ら名乗った号(本名のほかに用いる雅号)なのです。
梧陵は改名という人生の節目ごとに何を感じ、何を志し生きたのでしょうか。
「稲むらの火の館」では梧陵の人柄にふれながら、「経世済民(世の中を治め、民衆を救うこと)」、「人命尊重」の精神につらぬかれた社会的偉業をたどります。
その生涯にわたって、人々の生きる道標ともなる「稲むらの火」を灯し、歩み続けてきたことを感じ取っていただけるでしょう。
梧陵の精神を学び受け継いでゆくために、ここ梧陵ゆかりの地に「濱口梧陵記念館」と「津波防災教育センター」から成る「稲むらの火の館」が誕生しました。
「大切な命やくらしをまもること」について学び、来るべき時に備えてください。
あなたの心にも消えることのない「稲むらの火」を灯すために。

