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町の概要

町の位置図

位置図

町の歴史

古く鷹島遺跡の縄文前期から始まり、その後文献によると広川町全域は、広庄と呼ばれ、古代末期から中世初期にかけて熊野路往還の地として賑わった文化融合の地であります。昭和30年4月1日、広町・南広村・津木村の一町二村合併により広川町として発足しました。

町の由来

旧三ヵ町村(広町、南広村、津木村)を流れて海に注ぐ当地最大の河川「広川」の名称を採ったものです。

町の概要

庁舎外観本町は和歌山県の中心に位置し、有田郡の最南端にあり、町中央を広川が流れ紀伊水道に注いでいる。
東は有田川町および日高郡日高川町と分水嶺を以って接し、西は紀伊水道を隔てて遠く四国と相対している。南は高崚なる白馬山脈が東西に走り、日高郡日高川町と接し北は広川を境に湯浅町と接している。
(和歌山市へ40km・大阪市へ100kmの位置にある。)

役場の位置 東経135度10分33秒
北緯34度1分36秒
面積 65.35km²
広ぼう 東西12.0km 南北6.0km
海抜 最高664.5m 最低 -1.0m

日本遺産認定

日本遺産ロゴ広川町日本遺産オリジナルロゴ

「百世の安堵」~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~

(平成30年5月24日認定)

関連ページ

→全国初の「防災遺産」のストーリーが「日本遺産」に認定されました。

→特設Webサイト「百世の安堵」

町章・町の花・町の木

町章

町章

広川町の頭文字『ひ』を図案化したものです。
円形は町民の和を意味し、明るく豊かで住みよい広川町を表現しています。両翼は円形の部分、つまり町民の和に支えられながら、明日に向かって果てしなく躍進し続けることを表象したものです。

(昭和45年9月26日制定)

町の花

ささゆりササユリ

(昭和59年9月15日指定)

町の木

アラカシアラカシ

(昭和59年9月15日指定)

町民憲章

浜口梧陵翁を生んだ私たちの広川町に誇りをもち
住みよい町づくりをめざし
ここに町民憲章を定め
心を合わせてその実践に努めます

「美」 自然を活かし 美しい町をつくります
「学」 歴史や伝統に学び 文化の香り高い町をつくります
「愛」 心のふれあいを大切にし 人情味豊かな町をつくります
「健」 心身ともに健やかに 元気な町をつくります
「勤」 勤労に励み 伸びゆく町をつくります

(平成7年10月1日制定)

このページに関するお問合せ先
広川町 企画政策課 TEL 0737-23-7731 FAX 0737-62-2407
最終更新日:2021826